このアルバムを買ったのは恐らく19歳くらいのころ。
同じくチック・コリアのアルバム"Light As a Feather"を聴き、
Spain*1という楽曲に打ちのめされ、
「もっとチックの音楽を聴いてみたい」と
勢いそのままに旭川市の玉光堂*2へ自転車を走らせた記憶がある。
当時の僕の感想は、
- なんかモッタリしてる。
- 1曲目と2曲目つまんない。
- 暗い。
- ヴォーカルが音痴。
- 最後の"La Fiesta"って曲は凄く良いな。
- でも前の曲からのメドレーで同一トラックですぐ聴けなくてめんどくさい。
- なんだよこの"Sometime Ago"とか云う糞曲。
- まぁこんなもんか。
こんな感じだった。
要はイマイチ合わなかったのである。
それ以降、10年近くもの間、
たまーに"La Fiesta"を聴くことはあったが、*3
このアルバムを通して聴くことはあまり無く、
もっぱら前述の"Light As a Feather"というアルバムばかり聴いていた。
一応好きなチック・コリアのアルバムということで、引っ越しの際にも持ってきたが、
iTunesやiPhoneにもただ入っていただけで、聴くことは殆ど無かった。
それを、たまたま今日の仕事の帰り、移動中の車内にてiPhoneで掛けてみた。
もうひっくり返った。
1トラック目の前半、イントロの地を這うようなローズピアノとベースの低音サウンド。
後半にはまるで目の前にいるかのような、凄まじい音圧の音数のスタンリー・クラークのベース。
ゆったりと、だが確実に聴衆を乗せ、リズムの海に飲み込んでいくドラムス。
2トラック目のぽっかりと時が停まったような透明感のあるサウンド。
安心を求める聴衆の心を、狙い澄ましたように挿入される3トラック目のフローラ・プリムのんびりした歌声。
柔らかなタッチの、幸福感溢れるローズピアノのオブリガード*4
そして、圧巻なのは4トラック目"Sometime Ago / La Fiesta"である。
前半の"Sometime Ago"の開始は、退廃感に充ち満ちたピアノソロから。
ソロ、導入部が終わり、"Sometime Ago"が始まった瞬間のピアノの分散和音が刻み始めるリズム。
呼応するようにうねりを挙げて響き出すアイアート・モレイラのドラムス。
闇の中をたゆたうように一定のリズムで蠢くベースライン。
明るく爽やかに始まったかと思えば、サビではとたんにマイナー調となり陰りを生むメロディライン。
ドラムソロに応えてむせび泣くジョー・ファレルのフルート。
再びピアノのソロを経て、後半の"La Fiesta"が始まると、
うむを言わせぬ音の洪水に飲み込まれていく。
テンションを張る杭すらはじけ飛んで消え去りそうな、鬼気迫るメロディ。
サビへ入ると一転して優しく幸福な気持ちになる暖かいフレーズ。
総てが、今の僕にはツボだった。
「馬鹿じゃねぇのお前w」と突っ込みたくなるようなベースの音圧がすごい。
うねりを挙げて聴く者の心を引き込ませるトレモロの効いたローズ・サウンド。
ガッチリと好みのツボを掴まれてしまった。
ジャケット*5にもあるように、
全体を通して明るいテイストで楽曲が構成されている…との評論が多い作品だが、
改めて聴いてみると、
一見カラッと晴れているように見えても、一歩踏み出してみると鬱々とした心の闇と
言い訳を許さない理不尽な暴力の波にさらされているような感覚を強く受けた。
本作のサウンドに影響を与えているであろう、スペインやラテン・アメリカ諸国の雰囲気を大きく感じさせる。
このアルバムの発表と前後して、ジャズ業界は大きく
フュージョン&イージーリスニング路線へとシフトすることが多くなっていくのだが、
このアルバムに溢れているのはイージーでハッピーな音ではなく、
どこかの海外にある、場末の地下鉄のような陰りと狂気のあるサウンドである。
フュージョン系のアルバムをファンに挙げさせると、このアルバムを挙げる方も多くいることだろう。
昔の僕なら全く同意しなかっただろうが、
今なら本当によくわかる。
このアルバムは最高だ。
ラテンを色々やった後に聴くことで、新たな発見があって良かった。
たまたまアルバムを再生した偶然に感謝を。
聴く側の経験や背景も大事なんだよ、というお話。
視聴の際は、ぜひ音量をギリギリまで上げて、
飛び出してきそうな音の圧力に酔いしれて頂きたい。